灣生回家:日本阿嬤石崎富久子醫生
湾生の帰郷:日本人おばあちゃん 石崎富久子医師
文:黃春生
2015.11.14伊東紀子陪媽媽富久子來到教會尋根,那天恰巧在大禮拜堂內遇到我,我接待他們,為他們導覽。伊東阿嬤富久子說:「我在臺灣出生,這裡就是我的故鄉。」「這次回來,可能是我最後一次回故鄉了,但我已經心滿意足了!」
當時高齡96歲的日本阿嬤醫生(伊東的母親富久子)拿出一張幼稚園時的相片給我看,經阿嬤的同意,我將相片翻拍下來。這張相片於1929.3.31復活節在臺北日本基督教會(1937年5月改名幸町教會)禮拜堂前拍攝。伊東女士說,這是她母親一生中最珍貴的回憶。這張相片也是日本時代幼稚園及主日學學生的珍貴相片。
圖1:日本阿嬤富久子醫生,灣生回家。
圖2:講話者/伊東紀子,她也是在臺北出生。
2019.6.3 伊東紀子再次來到台北濟南教會,這次伊東的母親富久子沒有來台灣,她是帶一群年老的灣生來台灣。她與大家分享,說到三年前曾經陪伴母親來臺灣尋根的故事。
圖3:1941年3月8日伊東謙・富久子結婚禮拜。
相片提供:伊東紀子。
伊東 謙:1909年8月生まれ、1921臺北一中、臺北帝国大学卒業、大学および予科に勤務。
石崎 富久子:1919年生まれ、臺北第一高等女学校卒業、1941年3月8日伊東謙と結婚し、進(1942年6月)、紀子(1945年11月)を出産、1947年5月引揚。
「引揚者」意指在日本戰敗後,從前殖民地被遣返回國的日本人,當時有近700萬名被遣返回日本的「引揚者」。「鄉愁」成為灣生一生反覆思考、書寫的終極母題。
伊東謙は後に台北帝国大学化学科の教授を務め、現在の温州街52巷2号に住んでいました。伊東謙は化学教授であるだけでなく、音楽にも深い造詣があり、当時の台北帝国大学校歌(1941年)は彼の作曲によるものです。
伊東謙の妹には、貞子と愛子がいます。貞子は日本の植物学者である福山伯明の夫人です。福山伯明は1934年に台北帝国大学を卒業し、その後教師を務め、1941年には台北高校(現在の台灣師範大学)の教授に就任しました。彼は台湾の野生ランの新種を百種類以上発見し、台湾ランの新種研究に大きな貢献を果たしました。
愛子は佐竹哲夫に嫁ぎました。佐竹哲夫の祖父は佐竹音次郎で、日本では「保育の父」と呼ばれ、児童社会福祉の先駆者として知られています。佐竹音次郎は明治29年(1896年)に鎌倉で日本初の5歳未満の子どもを預かる保育園を設立しました。
大正3年(1914年)、佐竹音次郎は娘の花子と共に台北にやってきました。翌年には台北八甲町に台湾初の保育施設「鎌倉保育園台北支部」を設立しました。この施設は「愛育幼稚園」とも呼ばれ、台湾初の幼稚園となりました。
沒有留言:
張貼留言